サスペンションが教えたもの

トラブル発生。エアー漏れで沈みこんでいる状態
こちらは正常な状態。しっかり伸びてます。

2週間前に行われたシマノバイカーズフェスティバル(MTBレース)の時、店長のマシンにトラブル発生・・・。
サスペンションのエアー漏れで、沈み込んだままの状態で走った訳です・・・。(以前にも言いましたね)
この位置で乗るのは、はっきり言って、上手く乗れないし、普段のポジションと大きく異なり、気持ち良く走れないのだ。
伸びを利用したセッティングのマイバイク・オーガニック号・・・その命とも言える箇所が働かないのだから、当然なのだが、
Rサスの無いリジットバイクだと思えば良いんだ・・・と思い込ませるものの、やはり大きくダメダメなんですね。
イスに座ると、高過ぎるハンドル位置の為、全然力が入らないし、急な登り坂では前タイヤが浮く感じがするし・・・
悶々・・・として走っていると、今度は、Fブレーキから変な音が出始め、一気に効かなくなって・・・。あ~あ・・・
DISCブレーキからOIL漏れが発生・・・。おいおい、メカニック(店長)のバイクがこれかよ・・・。
そんな訳で、投げ出したくなったのだが、目の前にあるお守りのペットボトルキャップが「がんばれ!がんばれ!」って
応援してくれるので、「うおおお~~~!○○~!」と声に出し、ゴールを目指したのでした店長でした・・・
(なんて勝手でつまらないドラマだ)

さて、ここからが本題 (・・・前ふりが長過ぎ!)
良くというか、最近、「心が折れる」とか、「ブレる」など耳にする機会が多い・・・。実際に自分でも言っていたような気がする。
上記のようにレース途中でイヤになって、投げ出したくなった時、「心が折れてしまい・・・」いう言葉を安易に使っていたが、
私はどうも、この言葉の使い方を大きく間違っていたのではないかと、気が付きました。
自分の誇り(心)に負けた時・・・人は腐ってしまいます・・・。心が折れるとは、誇りを捨てる事だから、
「気持ちが負ける・・・折れる・・・」など簡単に口に出す事が間違いで、甚だしい訳です。
(目の前の事柄がイヤになる事を、この同意語として考えていた自分が恥ずかしいです・・・)
強い意志、決して正義ではなく、自分が思ったり感じる「義」を殺して行動する事の小ささや惨めさに比べたら、
目の前の困難など、喜んで食えそうです!

ハンドルに取り付けたペットボトルキャップが、そう教えてくれました・・・
マシンがトラブルを起こしただけで、私自身は全く問題が無いのだから・・・。
あの2時間の走行は楽しく有意義であったと思います。